友人Hさんは当時、カミュエラの街からそこの村の近くの小学校に通う学生。ラウパホエホエ村出身の友達をこの1946年の津波の災害で亡くしました。
あれから58年。
70歳になるHさんと訪れたハワイ島で一日ドライブをする時間ができて、どうしても行ってみたい場所があるのです、と言われて来た所がラウパホエホエでした。
津波で命を落とされた人たちの名前の彫ってある記念碑があり、そして周りをアイロンウッドに囲まれただだっ広いビーチパークでは近所の子供たちが海遊びをしに集っていました。
いきなりある日、ビーチから水が消えたんです。
水が消えた後には沢山の魚や、カニが砂浜に打ち上げられていました。
皆、大喜びで夢中になって魚やカニを穫りました。ふと、海の彼方を見上げると、とてつもなく大きな波のかたまりがこちらに向かって来るではありませんか。私たちは穫った魚やカニを放り出して必死で逃げ出しました。逃げるのに遅れた友人は、そのまま巨大な波にさらわれてしまったのです。
58年も昔のことなのに、Hさんは子供時代に還ったように、子供口調になって夢中で当時の話をしだしたのでした。
津波に襲われた場所に実際に立たずんでいた、なんとも言いがたい居心地の悪い感覚が、スマトラ沖の津波災害のニュースで私の脳裏によみがえりました。
行方不明の方達がご無事でありますように。
そして、亡くなられた方達のご冥福をお祈りします。 |