読者の方から、「猫を銃で撃つなんて私なら絶対に許せません!」というメールをいただきました。どうもありがとうございます。
「猫を銃で撃つ」という行為自体は、、、
そうですね、なかなか許し難いものがありますよね。
現在の心境ですが、猫の飼い主として、再び銃で撃たれるようなことがないように、これからは気をつけて飼おうと思っています。それだけです。あとは、これからはもっと多めに餌をあげようかなとか、優しい言葉をかけてあげようかなとか、そんなことくらいです(笑)。
近所に銃で猫を撃つような人が住んでいるということは、今回の一件で良く分かりました。だからといって、銃で猫を撃つような人が近所にひとりも住んでいない場所に引っ越すことは、残念ながら現状では現実的ではありません。
だとしたら、「撃たれないように飼う」のが一番良いと思います。
(こうやって言葉にすると、当たり前すぎてなんだか間抜けですが、、、)
今、自分たちが生活している場所はそういう所で、そんな時代にそんな人たちとともに生きているわけです。想定外の出来事でしたが、そこを選んで移り住んだのは、誰でもない自分です。まだしばらくの間は、ここで暮らしていくつもりです。
様々なネガティブなことをできるだけ回避しながら、楽しく快適に面白可笑しく生活していくこと。
これって、人間の智恵の見せどころではないでしょうか。猫は自分が「銃で撃たれた」ということすら知らないわけですから、そういったことから守ってあげられるのは、やっぱ飼い主ですもんね(本来備わっていた野生の勘を鈍化させてしまったのは、もしかしたら飼い主かもしれませんし、、、)?
猫に限らず、何かが大好きな人には、それを大キライな人のことが理解できません。それが大キライな人もまた、それを大好きな人のことが理解できません。
結局、猫が可愛いという人は、実は猫を可愛いと思う心を持っているってだけのハナシなんですよね。
最近、よく思うんです。お互いその人のことを理解できなくても構わないので、せめて大好きな人は、大キライな人がいるのだということを理解し、大キライな人は、せめて大好きな人がいるのだということだけでも理解できたら、世の中、あらゆることに関してもう少しマシになるのではないかと、、、
「もう少しマシになる」というのは、例えば争いごとや対立が、少しでも少なくなるのではないかということです。
「十人十色」というとカラフルですが、実際には、人間は人それぞれみんな「違う」んだと思います。お互い分かり合おうとかする前に、まず、お互い「違う」んだということを受け入れることから始めないと、相手を認めるどころか、理解することなど到底難しいのではないかと、正直、思っています。
あ、そうそう、、、たとえ良くないことが起こったとしても、最善を尽くすこと。できることは、できるだけやること。できるだけやれるその状況に、感謝すること。
このメールマガジンを読んでくださっている読者の皆さんが、今日も明日も明後日も、来週も来月も来年もず〜っとずっと、楽しく快適に面白可笑しく笑顔で暮らしていけますように!
(Taka) |